フェイクファー

高校の時からスピッツを聴いている。

あの頃は全員聴いてたように思うけど、すぐに音楽界は多様性を持って、スピッツを聴き続ける人とそうでない人に振り分けられていった。

かく言う私も、18歳で上京してからいわゆるロキノン系の音楽を好み、スピッツから遠ざかった時期もある。後に後悔したけど。

何が好きって、普通に草野マサムネの歌詞の世界観なんだけど。あと、はしゃぎながら歌う人と仲良くなれそうにないし。いわゆる目立たない口数少ない男子が表に出さないけど実はめちゃくちゃポリシー持ってたっていう感じがロックだと個人的には思うのですよ。それの最たるものを草野マサムネに感じるというか。志村正彦藤原基央もですね。

歌詞については、爽やかとかキレイだとか、そういうイメージを持たれがちで実際そんな曲もあるんだけど、どちらかと言うと汚(けが)れた出来損ないでダメな自分を歌った歌が多いと解釈してるし、そういうところに惹かれている。

余り物としての覚悟とか、でもな自分は虫だしっていう開き直りとか。これTK音楽の道に進んだ人は持ってない感覚だろな。知らんけど。

たくさんの名曲の中でも、名曲があって「フェイクファー」っていう曲なんだけど、当時は知らなかったけどこのアルバムは今までのプロデューサーから離れて製作したもので、なにやら大変な時期だったらしい。

フェイクファーの曲そのものは多分、別れと出会いの恋愛の歌なんだけど、その中にものすごく違う種類の不安や覚悟を感じるのは、そのせいなんだろうなと思ったりした。

スピッツ、というか草野マサムネ論になってしまうけど彼のいい所は大体100個くらいあって、1つ目は歌詞の中に星がたくさん出てくるところ。(くるりも好きなんすよ)とにかく星だらけ。星に思いを馳せる男子ステキやん。

その流れで言うと星だけじゃなくて自然をとにかく歌詞に入れてて、海に帰ったり月に帰ったりするのよ。ステキすぎる。いろんな花も出てきて、花がタイトルの曲はめちゃくちゃ暗い。死生観がうかがえる、ガーベラ、コスモス。

自然を味方にしてる数少ないアーティスト。

2つ目は役者やエンターテイナーにはならずにアーティストを続けてくれてるところ。言わずもがな。

3つ目は残り全部。めちゃくちゃ彼のセンスを信用してるから裏切りとかあった時にどうなるんだろうと不安なくらい信用してる。結婚してないとこもライブで感謝を述べることも、彼の選択肢を信用しすぎてる。

いわゆる犯罪をおかした時に、どうなるんだろうか。

まー、クスリやらないとあの歌詞は出てこないって~ハハハハハハ…と泣き崩れるのか。

クスリならまだしも、殺人などしてても許してしまいそうな自分もいる。

20代のグラビアアイドルとの結婚が決まったりしたら、私は何を思うのか。

殺人よりこっちのほうがショックな気がする自分もいる。

そりゃそうだよ、あんな人格者かつ感受性の持ち主がグラビアアイドル選ばないわけないじゃんと、鼻水垂らしながら泣くのかな。や、いいんだけどね、それくらい信用してるってこと。そして恋にも堕ちてるってこと。

高校の時からだからもう20年以上。

フェイクファーは実はあまり聴いてなくて、去年久しぶりに聴いたら当時の記憶が走馬灯のようによみがえってきたの。発売が初春頃でちょうど上京したころ、別れと出会いの希望と不安が入り混ざった繊細な季節。20年の時を経て、形は変わったものの希望と不安がある中で聴いたそれは、不安をなぞるように心にしみて来て胸が苦しくなった。

意味無く泣いたな、思えば遠くへ来たもんだって感じか。

今回フェイクファーをお題にしてしまったけど曲の数だけブログ書けそうだな。

偽りの海に身体ゆだねての、「偽り」と、フェイクファーの「フェイク」がかかってるのかなと思うだけでごはん3杯いける。

 

ピーマンのクッション

年明け3日、祖母が亡くなった。

いつかは来る。その来るべき時が来たんだな、そう思った。

 

私は上京してからずっと家族の死に目に会えないことを覚悟しながらも、

心のどこかで必要以上に怯えながら過ごしていたから。

まあ大体の人がそうなんだけど。

私は三姉妹で、姉は母、妹は父、私は祖母と並んで歩くことが多かった。

そのせいか祖母は何かと味方になってくれた。

耳かきをしている時に父親が私の頭をはたいた時も、かばってくれたし(母親の母親)、上京したいと言った時も好きなことをすればいいと言ってくれた。

新聞配達も一緒にしたし、バイトも同じとこでしてた。

そういや初潮が来た時に最初に報告したのも祖母だった。

祖母が80を過ぎた頃、認知症が進んでいたので特別養護老人ホームに入ることになった。

徘徊が顕著になった時、自死した自分の妹の所へ行こうと思ったのか、隣の在所で見つかったこともあった。

たまたま姉が車で捜してたらすれ違ったとの事。

私は東京にいて何もできない。

年2~3回の帰省の時には必ず祖母を訪問した。

一緒に桜を見に行った帰り、車からなかなか降りずにいたから、降りないのかと尋ねたら自分だけここで降りるのかぁ、と淋しげに言ったことを覚えてる。

ボケていたのに淋しさは感じるんだなぁと思った。

もしくは淋しさがボケを加速させてるのかもしれない。

ボケてはいたが、まだ食欲もあり喋れてはいた祖母でも90手前になると、さすがに体調を崩しやすくなり、たんが絡んだりして入院にもなった。

たんが絡むって一歩間違えたら窒息死じゃん。

この頃から、祖母が死ぬかもしれないという怖さに拍車がかかった。

帰省し入院してる病院に行きたい気持ちと、弱ってる祖母に会いたくない気持ちがあり、新しく出来た病院の探検をしようと母と話しながら向かったことを思い出す。

時間稼ぎ、嫌なことから目を背けたいタイプ。喉が詰まってうまく喋れない。

病室に行くと目が閉じかけて喋れない祖母が横たわっていた。あぁ…弱ってる…。

胃が縮む。

あまり長居してもということで、早々に引き上げたが心がざわついてる。

家に帰ると病院からの電話が鳴った。さっき会ったのに?!とまた胃が縮む。

検査の内容確認の電話で安堵したものの、電話の恐怖は続く。

実家にいるのに落ち着かない。

朝の5時30分に電話が鳴り、来た、、、かも、、、と思ったら父親の携帯のアラームだったこともあったな。

それからまた東京に戻ったものの、とにかく最後に見た祖母が弱っていたため頭にその映像がこびりついてる。

つまり、いつ連絡が来てもおかしくない想像が容易にできるのである。

私は朝方電話がなるのが怖くて着信音を消音にした。

特別養護老人ホームの見回りが6時30分だとして…それから家に連絡が行って…8時0分にはこっちに連絡が来るな…などとシミュレーションした。

怖くて電源を落としていたこともある。日々その連絡に怯えていたのである。

不安が取り巻く。

 

春、また長期休暇が取れて特養に行ったら、あの最後に見た弱った祖母とは見違えるほど顔色のいい、車椅子に乗った祖母がいた。

え????お母さん!おばあちゃん元気になったね!

めちゃくちゃ特養のスタッフに感謝した。

すげぇなプロ!えらく感動した。

家に帰ってお風呂に浸かる時、久しぶりに「安心」してる実感があった。

この時の「安心」は一生忘れないと思うくらい安心した。これが安心かァ。

うん安心するっていいね!

不安なく夕飯も食べた。家電が鳴るわけもなく早めのゴールデンウィークを過ごした。

おばあちゃんが元気だったことが嬉しい。

夏には床ずれ防止のクッションがあったらいいかもと、

なぜかniko and…でピーマンの形のクッションを買ってあげた。

ちょうどいい硬さと大きさだったし。

とはいえ90にもなるし、いつ何が起こるか分からない。

秋になり誕生日が来て91になった。

私は特養から帰るとき、決まって「またね」と声をかけていた。

なぜなら、また会うからである。11月に「またね」と言ったときこっちを向いてくれなかった。そんなこともある。きっとまた会える。

 

年を越せない人っているんだよね、年末になるとそういう言葉を耳にする。

祖母は年を越した。

3日間だけ。

あんなに怯えていた電話だったが、実際祖母の死が知らされたのは母親とのLINEの最中だった。

 

夜に知らせが来たので、翌日には帰省した。

納棺、お通夜、葬儀を淡々と進める。

私は祖母の死は怖かったし悲しいものだったけど泣くことはしないようにしたかった。

後悔がないように、できることをしたつもりでいたかったから。

自分本位。

 

火葬場では、床ずれ防止のためのピーマンのクッションを入れてあげればよかったな、などと考えていた。

両親だとまた違う感情なんだと思う。

姉と妹は泣いていたように思う。

葬儀場で花を手向けるとき、火葬場で最後に声をかけるとき、私は「またね」と声をかけた。

なぜなら、また会うからである。

 

 

 

世界観という曖昧なでも確実な線引き

物を好きになるときに、作品というよりも作者を好きになる場合が多い。

漫画とか小説とか音楽とか。当たり前だと思ってたけど、そうでもないみたい。

あのバンドのあの曲は好きっていう人もいる。ワンピース読むけど他の作品知らないとか。

だから私は音楽も作詞作曲してる人の才能に惚れてしまう。世界観の問題で。

とはいえ100曲中100曲好きなわけでもない。

価値観のうち7割はこの世界観の問題な気がする。3割は環境?

ギャルはギャルの世界観でSWAYとかAK69とか好きなんだよな。

これが好きな人はこれも好きだろうって、世界観の問題じゃありません?

お笑いが好きな人って、割と音楽も好きだったりするのは言葉を巧みに使って表現する部分が似てたり、漫才にしろコントにしろ間とリズムが大事で、はたまた漫才も音楽のうちなんじゃないか?っていうそういう感覚。や、感覚の問題になってしまった。

とにかく何が好きか分からないときは、世界観ですかねと答えたり、嫌いな歌手は世界観と答えとけば誰も傷つかない。

 

 

40とネズミ

人知れず40歳を迎えた。正直30歳の時は全く焦らなかったし、ほんとにどうにかなると思ってた。だけど40を迎えるにあたりそこそこ焦ったのですよ。人生に。そう人生に。

きっと40の朝は誰かと一緒に迎えると思ってたし。

しかし待てど暮らせどその誰かは現れなくて。

結局、長期休暇(GWの振休)をもらい実家で迎えた。

0時に誰かからLINEが来るかとかソワソワしていたものの、23:30くらいからうとうと寝てしまっていた。

寝入りばなに、夢と現実のはざまで、バタバタバタって音が聞こえて…寝ぼけていたが、それはすぐ気づいた。

そうネズミの音だって。昼間に仕掛けた罠にかかっているのである。

ふと時計を見ると0時5分。

ハッ!ネズミだ!ハッ!0時過ぎてる!ハッ!40になった!ハッ!ネズミ!

いろんな感情が巡る。いろんなというか40とネズミだ。

お母さん!お母さん!寝てるお母さんを起こす。40になったばかりの娘が大声で何事かと思っただろう。いやそもそも母親は今日が次女の誕生日ということも忘れていたようだが。40を迎えて5分後にネズミ退治をするという大台の幕開け。

悪くない、そう、確か毎年こんな感じだから。